![ハタオリマチが織物産地になるルーツ甲斐絹のものがたり](images/kaikiza/kv-copy.png)
ハタオリマチの織物は、独特の光沢や風合いで
江戸時代より人々の心をとらえた
「甲斐絹(かいき)」をルーツとしています。
甲斐絹は約400年前に貿易船で日本へ輸入され
最高級品としてその名を轟かせますが、
第二次世界大戦後にその姿を消してしまいます。
しかし、ある4人の職人が力を合わせて
甲斐絹を復活させました。
その技術を現代に継承させるまでのストーリーを
お楽しみください。
むかしむかし、今からおよそ400年前に…
![南蛮船](images/kaikiza/img-1.png)
![甲州(甲斐の国)の特産物](images/kaikiza/img-2.png)
甲斐絹のルーツ
南蛮船によってもたらされた先染織物がありました。
最初はその織物は「海気(かいき)」と
書かれていましたが
甲州(甲斐の国)の特産物であったことから、
「甲斐絹(かいき)」と呼ばれるようになりました。
※諸説あります
![富士](images/kaikiza/img-3.png)
甲斐絹の生産に向いている山梨の環境
富士の湧水は硬度が高く色糸の発色を
高めるといわれています。
ほとんど染色を邪魔する物質が少ないため
微妙な色合いの再現に適しているともいわれています。
こうした自然の恵みを生かして
「甲斐絹」は育てられてきました。
![湧水 染色](images/kaikiza/img-4.png)
![高級羽織裏地](images/kaikiza/img-5.png)
江戸時代から始まったお洒落の代名詞
粋を極めた高級羽織裏地として、
当時の上流社会で後世に
その名を残すほど大評判となり、
その人気は、昭和初期までつづきました。
しかし、昭和16年の第二次世界大戦の時を境に
甲斐絹の生産は激減し、
化学繊維の大波に洗い流されるかのように、
戦争の終焉とともにその姿を消すことになります。
![前田 市郎さん](images/kaikiza/img-maedagen.png)
服地、オーガニックコットン
前田 市郎さん
![田辺 丈人さん](images/kaikiza/img-tanabe.png)
座布団生地、金襴座布団生地
田辺 丈人さん
![槇田 則夫さん](images/kaikiza/img-makita.png)
傘地、傘、服地、ストール
槇田 則夫さん
![山崎 泰洋さん](images/kaikiza/img-yamazaki.png)
ネクタイ地、ネクタイ
山崎 泰洋さん
甲斐絹の復活を願い、立ち上がった4人の職人
一度姿を消した甲斐絹。しかし山梨の職人には
その伝統の心と技が受け継がれてきました。
そして傘、座布団、ストール、ネクタイの
プロフェッショナルである
4人の職人が立ち上がり
甲斐絹の復活を成し遂げました。
![4人の職人](images/kaikiza/img-6.png)
0.5%の山梨県産の絹を使うのがこだわり
かつては絹織物ともに、県内各地では
養蚕が行われてきました。
しかし、化学繊維の普及で県産の絹織物は
姿をほとんど消してしまいました。
甲斐絹座はこのプロジェクトを
立ち上げるにあたり
この残された0.5%の純県産絹で
ブロダクトを作ることにしたのです。
製品をつくることで養蚕、絹織物の
伝統を守り伝えていくのです。