ハタオリマチの織物は、独特の光沢や風合いで
江戸時代より人々の心をとらえた
「甲斐絹(かいき)」をルーツとしています。
甲斐絹は約400年前に貿易船で日本へ輸入され
最高級品としてその名を轟かせますが、
第二次世界大戦後にその姿を消してしまいます。
しかし、ある4人の職人が力を合わせて
甲斐絹を復活させました。
その技術を現代に継承させるまでのストーリーを
お楽しみください。
むかしむかし、今からおよそ400年前に…
甲斐絹のルーツ
南蛮船によってもたらされた先染織物がありました。
最初はその織物は「海気(かいき)」と
書かれていましたが
甲州(甲斐の国)の特産物であったことから、
「甲斐絹(かいき)」と呼ばれるようになりました。
※諸説あります
甲斐絹の生産に向いている山梨の環境
富士の湧水は硬度が高く色糸の発色を
高めるといわれています。
ほとんど染色を邪魔する物質が少ないため
微妙な色合いの再現に適しているともいわれています。
こうした自然の恵みを生かして
「甲斐絹」は育てられてきました。
江戸時代から始まったお洒落の代名詞
粋を極めた高級羽織裏地として、
当時の上流社会で後世に
その名を残すほど大評判となり、
その人気は、昭和初期までつづきました。
しかし、昭和16年の第二次世界大戦の時を境に
甲斐絹の生産は激減し、
化学繊維の大波に洗い流されるかのように、
戦争の終焉とともにその姿を消すことになります。
服地、オーガニックコットン
前田 市郎さん
座布団生地、金襴座布団生地
田辺 丈人さん
傘地、傘、服地、ストール
槇田 則夫さん
ネクタイ地、ネクタイ
山崎 泰洋さん
甲斐絹の復活を願い、立ち上がった4人の職人
一度姿を消した甲斐絹。しかし山梨の職人には
その伝統の心と技が受け継がれてきました。
そして傘、座布団、ストール、ネクタイの
プロフェッショナルである
4人の職人が立ち上がり
甲斐絹の復活を成し遂げました。
0.5%の山梨県産の絹を使うのがこだわり
かつては絹織物ともに、県内各地では
養蚕が行われてきました。
しかし、化学繊維の普及で県産の絹織物は
姿をほとんど消してしまいました。
甲斐絹座はこのプロジェクトを
立ち上げるにあたり
この残された0.5%の純県産絹で
ブロダクトを作ることにしたのです。
製品をつくることで養蚕、絹織物の
伝統を守り伝えていくのです。